毎日新聞の全国版に、小学校の担任の先生との再会を綴ったエッセイが掲載されたのは一昨年の12月だった。
覚醒の言葉 2018.12.7
週1回、老人ホームに往診に行っている。カルテをみていて、ふとひっかかりを感じた。この人は私の小学校のときの担任の先生かもしれない。さっそく個室に入ると、ベッドの上で、くにゃっと曲がったまま、うとうとしておられた。
職員によると、90歳を超えて認知症が進み、最近は発語も少なく表情も乏しいという。ところが「小学校の先生をされていませんでしたか」と声をかけた途端、目にピカッと力が宿る。
「そうよ、わたしは小学校の先生だったのよ」と反応した。
「先生、中川卯衣ちゃんを覚えていますか」
「ウイちゃん、覚えてる、覚えてる」
「私が、中川卯衣ちゃんですよ。お医者さんになりました」
もうその時には、自力でベッドに腰かけて背筋がしゃんとしていた。力強く抱擁して、互いに再会をとても喜んだ。
「先生」は、覚醒の言葉だったのだ。すっかり顔つきがかわり、目力が強くなって生のエネルギーがあふれだした。お別れの時には「ウイちゃん、がんばりなさいや」と激励までしてくださった。
次回は私のことを忘れているかもしれない。そうしたら、また同じ会話をして、同じように再会を喜べばいい。その時の先生の新鮮な喜びと輝きは私にとっても大きな喜びだ。
私は先生を看取るのだろう。今まで何人も看取ってきたけれど、いよいよ医師として身近な人を看取る時期がくる。身の引き締まる思いも同時に感じた。
先生は、わたしを忘れなかった。いつ訪室しても、わたしを労ってくださり、手を握り合い再会を喜んだ。
それでも、少しずつ体は弱り、入退院を繰り返すようになった。
先日、先生はいよいよしんどさが増し、何度目かの入院となった。そして、それは最後の入院になるだろうと予想していた。
ふだん、わたしは患者さんに「がんばって」とは言わない。それは、もう充分がんばってきている人にこれ以上かける言葉ではないと思っているからだ。それでも、わたしは先生に「明日、またわたしが来るまでがんばって。」と言ってしまった。医者としてではなく、わたしの気持ちを100%おしつけてしまった。
翌朝早い時間に、さらに状態が悪化したと病院から連絡が来た。
こどもたちのお弁当を作り、家族を送り出して、大急ぎで駆け付けたけれど…間に合わなかった。病棟主治医が看取ってくださり、わたしがいる必要はないのだけれど。
でも、わたしは先生を看取りたかった。
でも、わたしは間に合わなかった。
「先生、ごめんね。間に合わなかった。でも、わたしはわたしのやるべきことをやって、安全運転してきたよ。」
先生ならきっと、わたしがわたしのやるべきことをほっぽりだして駆けつけても喜ばないと思ったから、まだ点滴がつながったままの腕をさすりながらお別れをした。
先生とのお別れは悲しい。
この気持ちも心の糧にして、日常は続く。
覚醒の言葉 2018.12.7
週1回、老人ホームに往診に行っている。カルテをみていて、ふとひっかかりを感じた。この人は私の小学校のときの担任の先生かもしれない。さっそく個室に入ると、ベッドの上で、くにゃっと曲がったまま、うとうとしておられた。
職員によると、90歳を超えて認知症が進み、最近は発語も少なく表情も乏しいという。ところが「小学校の先生をされていませんでしたか」と声をかけた途端、目にピカッと力が宿る。
「そうよ、わたしは小学校の先生だったのよ」と反応した。
「先生、中川卯衣ちゃんを覚えていますか」
「ウイちゃん、覚えてる、覚えてる」
「私が、中川卯衣ちゃんですよ。お医者さんになりました」
もうその時には、自力でベッドに腰かけて背筋がしゃんとしていた。力強く抱擁して、互いに再会をとても喜んだ。
「先生」は、覚醒の言葉だったのだ。すっかり顔つきがかわり、目力が強くなって生のエネルギーがあふれだした。お別れの時には「ウイちゃん、がんばりなさいや」と激励までしてくださった。
次回は私のことを忘れているかもしれない。そうしたら、また同じ会話をして、同じように再会を喜べばいい。その時の先生の新鮮な喜びと輝きは私にとっても大きな喜びだ。
私は先生を看取るのだろう。今まで何人も看取ってきたけれど、いよいよ医師として身近な人を看取る時期がくる。身の引き締まる思いも同時に感じた。
先生は、わたしを忘れなかった。いつ訪室しても、わたしを労ってくださり、手を握り合い再会を喜んだ。
それでも、少しずつ体は弱り、入退院を繰り返すようになった。
先日、先生はいよいよしんどさが増し、何度目かの入院となった。そして、それは最後の入院になるだろうと予想していた。
ふだん、わたしは患者さんに「がんばって」とは言わない。それは、もう充分がんばってきている人にこれ以上かける言葉ではないと思っているからだ。それでも、わたしは先生に「明日、またわたしが来るまでがんばって。」と言ってしまった。医者としてではなく、わたしの気持ちを100%おしつけてしまった。
翌朝早い時間に、さらに状態が悪化したと病院から連絡が来た。
こどもたちのお弁当を作り、家族を送り出して、大急ぎで駆け付けたけれど…間に合わなかった。病棟主治医が看取ってくださり、わたしがいる必要はないのだけれど。
でも、わたしは先生を看取りたかった。
でも、わたしは間に合わなかった。
「先生、ごめんね。間に合わなかった。でも、わたしはわたしのやるべきことをやって、安全運転してきたよ。」
先生ならきっと、わたしがわたしのやるべきことをほっぽりだして駆けつけても喜ばないと思ったから、まだ点滴がつながったままの腕をさすりながらお別れをした。
先生とのお別れは悲しい。
この気持ちも心の糧にして、日常は続く。