手を離すのは自分のペースで

 小学生くらいの子がすいすい器用に乗っているあの乗り物。車輪が2個しかついていない細身のスノーボードのような乗り物。その名はブレイブボード。

長女も2年前のコロナ休校中に運動も兼ねて練習をし、今は自由自在に乗りこなしている。

先日久しぶりにふたりで海まで散歩をした。わたしの住む近くにはオアシスロードと呼ばれる遊歩道が夙川に沿うように設けられ、それが香櫨園浜まで続いている。久しぶりに乗ったにも関わらずわたしのまわりをくるくるくねくね動きながら自在に舵を切る。

勧められてわたしも乗ってみた。「乗ってみた」というのは言い過ぎで、娘に抱きかかえられるように支えられ、まさに手取り足取り指南され、なんとかブレイブボードの上に立たせてもらったというのが正しい表現である。立ったら次に左手を繋いで、右手は娘の肩。腰を押されながら少し前に進む。わずか2~3メートルでバランスをくずしボードから落ちる。次は、両手は繋いだままで、推進力を自ら生み出せるように足を前後させる。徐々に段階を踏み、進行方向の手は離して自分で舵をとれるようになってきた。でも、右手ははずせない。しっかり娘の手をにぎりしめたままだ。ほんのちょっとした路面のざらつきの違いやゆるやかな傾斜もはっきり感じて怖い。歩いているときには全く感じないアスファルトのつなぎ目につまづくのだ。がっちり握っていた手をすこしずつ緩めて、指2~3本が触れ合っているだけでも、あるのとないのとでは安定感、安心感が全然違う。

「ママ、手離すのは自分のペースでいいよ。」

 娘は、小さいころスモールステップにいちいちつまづくような子だった。この子の見ている世界は、今わたしがブレイブボードで進んでいる世界のようなものだったのかもしれない。今までわたしは自転車、縄跳び、逆上がりなどすでに自分ができることを娘に教えるとき、心から「手を離すのは自分のペースでいいよ」と言えていただろうか。わたしのペースで、もう少しの勇気とスピードアップを求めていなかっただろうか。

 娘に身をゆだねる、娘に教えられる、そんな日がもうここまで来ていた。